この碗は、江戸時代に安閑陵古墳で土砂崩れがあった際に出土したものといわれる。茶色味を帯びた透明なガラス碗で、全面に円形切子が施されている。切子とは、ガラスの表面を削って文様を描く技法である。底部は径約4cmで深くえぐられており、側面は円形切子を5段施している。底に近い段では、円形切子がとなりと重なって亀甲形になってしまっている。円形切子はそれぞれが凹レンズになっているため、切子をとおして反対側の切子を見ると網の目のように見える。
この碗と酷似したガラス碗が正倉院宝物の1つとして伝来しており、当時、ガラスの器がたいへんな貴重品だったことを示している。
このガラス碗はイラン北部においてササン朝期に製作されたもので、シルクロードを通ってはるばる日本にもたらされたと考えられている。数少ない古墳時代のガラス碗の遺例として貴重である。