書画、工芸のさまざまな分野で天分を発揮し、琳派の祖となった桃山・江戸初期の芸術家、本阿弥光悦(1558-1637)の代表作として有名な硯箱である。蓋を高く山形に盛り上げているのが特徴的である。全体を、角を丸くした方形とし、蓋を身より大きく造った被蓋(かぶせぶた)に造る。身の内部は左に銅製の水滴と瓦硯をはめ込み、右の低い空間を筆置、右端を刀子(とうす)入れとしている。
箱の全面に金粉を密にまき、波の地文に小舟を並べ、厚い鉛の板で橋を掛け渡す。波は漆で線描きしてから金粉をまく付描(つけがき)で表し、小舟は漆を盛り上げて金粉をまいた薄肉高蒔絵(うすにくたかまきえ)で描いている。
斬新な意匠の効果をさらに高めているのが、銀の板を切りぬいて散らし書きにした文字である。文字は「東路乃 さ乃ゝ かけて濃三 思 わたる を知人そ なき」と散らされ、『後撰和歌集』源等(みなもとのひとし)の歌「東路の佐野の舟橋かけてのみ思い渡るを知る人ぞなき」から、「舟橋」の字を省略して表している。つまり「舟橋」は箱の意匠から読み取る仕掛けである。
光悦自らがどの程度関与したかはあきらかでないが、大胆な意匠、高度な技術、古典文学から主題をとるなど、光悦蒔絵といわれるものの中でもっとも彼の特色が表れた作品である。