大仏頂法を修する際の本尊像として、敬愛、息災、増益を祈るために用いられる。大仏頂曼荼羅がわが国で修法に懸用されたのは平安中期11世紀後半からであることが記録から知られる。
本図はいわゆる唐本で、典拠とされる単独の儀軌は明かではない。平安後期の図像集である『図像抄』、『別尊雑記』には本図と同図像が収録されている。おそらく宋代の中国から新しい図像として請来されたものであろう。
図様は、中央須弥山上に、日輪を負い趺坐する一字金輪(大日金輪)を表し、それを中心に七宝をめぐらす。獅子座としない点をのぞくと、いわゆる一字金輪の図像と近似している。図の上方の月輪中には、定印を表しその上に金輪を置く釈迦金輪を表している。大日金輪の坐す須弥山の左右には竹林と牡丹花にも見える唐花が配され、手前の海中からは二大龍王と龍神が涌出する。密教の曼荼羅に自然景を想像させる情景を取り入れ、月輪中の仏以外はあまり型にはまらない表現・配置とするのが斬新である。
主尊の肉身は黄色、朱肉線で描起こし、着衣には七宝繋〈しっぽうつなぎ〉、立涌〈たてわく〉、甃〈いしだたみ〉文など精緻な截金文様を飾り、金具には箔を押し、彩色は具色〈ぐいろ〉をまじえて優美である。とくに、大日金輪には金截金を、釈迦金輪には仏画にはまれな銀截金を用いるなど装飾性に注目すべき特徴がある。