柳の枝をゆらして一陣の風が吹き抜ける開放的で清々しい光景。果てしなく広がる水辺、その蓮の合間に浮かぶ船上に二人の人物が描かれる。そのうち左の高士は、「愛蓮説」を著し君子の花として蓮をこよなく愛した中国・北宋時代の儒学者で、宋学の開祖・周茂叔(敦頤(とんい)、1017-1073)とみられる。室町時代、禅僧などの知識人は漢文に親しみ中国文化を深く理解したが、本図はその世界に憧れを抱いた人々により中国の故事に基づく絵画として鑑賞された。
作者については、画面右下の白文鼎印「正信」から狩野正信(1434-1530)であることが判明する。正信は、江戸時代後期にいたるまで画壇の主流をしめる狩野派の基礎を築いた画家で、銀閣の建立で有名な室町幕府第八代将軍・足利義政(1436-1490)の御用絵師でもある。
本図は、柳樹の図柄がほぼ共通する中国絵画の模本(馬遠筆柳下宿鷺図模本、東京藝術大学)の存在から、おそらく正信が足利将軍家の所蔵する南宋院体画などに学んだ成果を生かし制作したものと考えられる。室町時代の水墨画には特定の中国人画家の作風を「筆様(ひつよう)」として模倣(もほう)する作例が数多く知られているが、本図は南宋時代の画院画家・馬遠の様式にならったことが明らかな「馬遠様」の作品である。また筆様制作の有り様をよく伝える室町時代の典型的な絵画として、歴史的にも注目される。
狩野派の初代・正信による唯一の国宝であり、室町時代に京都で隆盛した東山文化の水墨画を代表する優品である。旧伊達家伝来品。