維摩詰はインドの毘耶離城に住む長者で、弁才無碍をもって聞こえ、在俗の身ながら仏の教えを深く理解していた。一日、衆生の病をもって病む彼を見舞う文殊との間に大乗の妙理を示す問答を展開する。
本図は、「維摩経変相」に説くこの劇的な場面を描いたもの。初老の居士形にあらわされた維摩は、床上、脇息によりかかり、かすかに口を開いている。床側には、同経の「観衆生品」にみえる天女が散華の姿勢を取って立つ。平成28年(2016)から30年にかけて実施した修理により、本紙右下隅から朱文印の右角が確認され、本来の画面はひとまわり大きなものであったことが明らかになった。
維摩の口元の鬚髭や右手に持った払子は、柔らかな毛の質感を表し、対照的に獅子を彫り込んだ床座の文様や脇息の彫琢は稠密かつ精緻である。こうした洗練された表現は宋画の特質を残しており、北宋末の画家で維摩像を好んで描いた李公麟(号は龍眠居士、1049~1106)の白描画の伝統を示している。本図も江戸時代初期に狩野安信によって「李龍眠筆」と鑑定された箱書を伴って旧福岡藩主の黒田家に伝来した。