明恵(1173~1232)は平重国と湯浅宗重女の間に生まれ、諱を高弁という。その明恵が19歳の頃より約40年にわたって自ら見た夢を記録したのが「夢記」である。夢の内容は多岐にわたるが、その時々の明恵の思考や行動が反映されているという。
「夢記」は現在、高山寺にまとまって残存するが、本巻は所々に「高山寺」および「方便智院」の朱方印が捺されていることから、その中の一つであったことが判明する。建永2年(1207)より建暦元年(1211)の間にみた夢が断続的におさめられ、速い筆運びのいかにも学僧にふさわしい筆跡が特徴である。全7紙のうち、第1・6紙目の紙背に「夢記」の一部と思われるもの、第4・5紙目の紙背に仮名消息が存在する。