武士達の名馬愛玩の風潮により、厩は単に馬を養う場ではなく、立派に作られ清潔に保たれた娯楽の社交場となっていた。そこに自慢の名馬が繋がれていたのである。この自慢の馬と厩が独立して描かれるようになったのは、戦国の風が強まってからのことと考えられ、厩図は、繋がれた馬のみで人物の描かれていないものと、馬の手前で娯楽に興じる人物の描かれたものの2種類に大別される。本図は後者の社交の場としての厩を描いたもので、先行する同種の作例であるクリーブランド美術館所蔵の厩図に図様の多くを負っている。クリーブランド美術館本が各扇に1頭を配しているのに対し、本図は動と静各3頭に数を減らして左右各隻に描き分け、風俗画の要素の他に花鳥図の要素を加えて華やかさを増している。
樹木や岩の描写、金泥による雲霞や素地濃彩の技法などやまと絵と漢画の融合した表現は、狩野秀頼筆の「観楓図屏風」(東京国立博物館所蔵)との類似性が指摘され、室町時代末の作期が想定される。