圜悟克勤(1063-1135)は、中国・北宋時代の禅僧。北宋の徽宗(きそう)皇帝や、南宋の高宗皇帝の尊崇を受け、『碧巌録』(へきがんろく)の著者として名高い。
これは、弟子の虎丘紹隆(くきゅうじょうりゅう)に与えた印可状の前半部分で、現存する墨蹟(禅僧の筆跡)としては最古のものである。禅がインドから中国に渡り、宋代に及んで分派した経緯を述べ、禅の精神を説く。書は破格であるが、厳格な修行を経て達した枯淡の味わいがあり、古来、墨蹟の第一として茶家に珍重されてきた。
この墨蹟が桐の筒に入って薩摩(鹿児島県)の坊ノ津海岸に漂着したという言い伝えから、『流れ圜悟(ながれえんご)』の名で呼ばれる。
大徳寺大仙院、堺の豪商茶人谷宗卓(たにそうたく)の所有を経て、のち伊達政宗の所望により、古田織部によって分割されたと考えられる。やがて祥雲寺に移り、その後、茶人として知られる松江藩主、松平不昧(まつだいらふまい)が、金子千両と年々扶持米30俵を祥雲寺に贈ることで手に入れた。