重要文化財長徳四年紺紙金字経ちょうとくよねんこんしきんじきょう

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  • 1巻
  • 紺紙金泥
  • 15.0×131.3
  • 平安時代・長徳4年(998)
  • 東京国立博物館
  • E-15275

寛弘4年(1007)8月11日、藤原道長が金峯山詣の際、経筒に入れて埋納した自筆の紺紙金字法華経巻第一の残闕である。全体に下辺部を欠失しているが、巻末の奥書では、「長徳四年」「峯山金」「件第一」の文字が確認できるため、金峯山に埋納する目的で長徳4年(998)に書写したことがうかがえる。
 道長の自筆日記『御堂関白記』(京都・陽明文庫所蔵)によると、道長は、寛弘4年8月2日に京を発ち、11日に金峯山で供養法要を行い、14日に帰洛するまで、金峯山詣をしたことが知られる。また、元禄年間(1688~1703)に金峯山上の蔵王堂付近で出土した金銅経筒(奈良・金峯神社所蔵)は、寛弘4年に道長が埋納したもので、筒身には24行、511字にわたる願文が線刻されている。この願文には、道長は百日潔斎の後、自ら書写した『法華経』、『無量義経』、『阿弥陀経』、『弥勒経』など15巻の経巻を銅篋に納め、金峯山に埋め、その上に金銅燈楼を立てたことが記されている。さらに、先年に書写した『法華経』を以前に埋納するつもりであったが、病悩などによって持参できなかったので、経供養は京都において済ませたこと、一緒に埋納する『阿弥陀経』や『弥勒経』は、「此度」つまり寛弘四年に書写したものであることなどを伝えている。
 本巻は、経筒の銘文や『御堂関自記』などの記録から、道長の金峯山詣や経塚造営など、制作の背景や周辺の事情が詳細に明らかになる点で、きわめて貴重な遺品である。

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