国宝一遍聖絵 巻第七いっぺんしょうにんでんえまき まきだいなな

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  • (指定名称)絹本著色一遍上人絵伝
  • 法眼円伊筆 (ほうげんえんい)
  • 1巻
  • 絹本着色
  • 37.8×802.0
  • 鎌倉時代・正安元年(1299)
  • 東京国立博物館
  • A-10944

 時宗(じしゅう)の開祖一遍(1239~89)の生涯を日本各地の風景のなかに描き出した、日本美術を代表する絵巻の一つである。全12巻からなり、神奈川・清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺(ゆぎょうじ))が巻第七の絵以外の12巻を、東京国立博物館が巻第七の絵に江戸時代に詞書を補った一巻を所蔵している。正安元年(1299)8月23日に記された巻第十二の奥書(おくがき)によれば、この絵巻は一遍の実弟とみられる聖戒(しょうかい)が撰述し、法眼円伊が絵を担ったという。
 伊予(いよ)国(現愛媛県)出身の一遍は、「南無阿弥陀仏{決定往生/六十万人}」と墨摺した小札を配る賦参(ふさん)と踊念仏(おどりねんぶつ)による布教を行ないながら、全国の聖地を遊行した。絵巻には、その途上で公家や地方の有力者、他宗の高僧らと交流した様子が、中世の風景や人の暮らしとともに描き出されている。当館が所蔵する巻第七では、京都での布教が盛況であったことなどを語る。
 東博本の前所有者は、明治時代の実業家原三溪(はらさんけい)で、その手記によれば、三溪の前は三崎亀之助(みさきかめのすけ)(1858~1906)、税所(さいしょ)子爵(篤(あつし)か)、京都町奉行浅野梅堂(あさのばいどう)(長祚(ながよし)、1816~80)、京都・歓喜光寺(かんきこうじ)へと遡るという。当館は三溪没後の昭和25年に原家から購入した。
〔奥書〕此壱巻 寶暦五秊{乙/亥}八月廿三日及破損間修補之 當寺三十世彌阿輪山

(瀬谷)
『国宝 東京国立博物館のすべて:東京国立博物館創立一五〇年記念 特別展』毎日新聞社他, 2022, p.278, no.10.

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