安南国副都堂福義侯阮書簡
日本と安南(現在のベトナム)との間で取り交わされた外交文書のなかで現存最古のものである。
本書簡の内容は次のとおりである。「安南国副都堂福義侯の阮が日本国王に書を送ります。聞くところによれば、信義とは国の宝であり、保つべきものです。前年、日本国王の使者である陳梁山に面会したところ、梁山は本国(安南国)に対して、『日本国王は立派な象を好みます』と言いました。そこで象1頭を陳梁山に託し、国王のもとに帰らせようとしましたが、帰国する船が小さく、象を載せられませんでしたので、代わりに好香2株・雨油盖1柄・象牙1件・好紵2匹を国王に贈り、交誼を保とうとしました。ところが翌年、国王の使者の隆巌が本国を訪れ、『陳梁山と財物が到着しません』と言うので、雨油盖1柄を再び国王に贈り、信義を保つことにしました。もし国王が本国の珍奇な品を好み、再び隆巌を本国に遣わして、日本の好剣2柄・好甲衣1領を私に贈ってくださるのであれば、稀少品を買い集めて、日本国王に贈り、両国の往来交信の誼を通じましょう。」
差出人は安南(後黎朝)の有力な臣下であった阮景端と推測される。宛所は「日本国○国王座下」(○は闕字)で、当時の天下人、豊臣秀吉だと思われる。秀吉は朝鮮・琉球・高砂・呂宋に朝貢を要求しており、安南にも同様の要求を行い、通交を模索した可能性がある。ただし、使者二人の詳細は不明であることから、日本国王の名を騙って安南との交易を目論む中国海商の所行の可能性もある。
いずれにせよ、本書簡は後期倭寇の時代から朱印船貿易の時代への過渡期における日本と安南との関係を示すものであり、日本とベトナムの交流について、今まで知られていたより、10年もさかのぼる重要な史料である。
安南国文理侯書簡
本書簡は、安南国の文理侯が日本人商人「市良碧山伯等」に送ったもの。差出人の文理侯とは、貿易港のあった乂安(ゲアン)の役人、陳靖という人物で、この地を管理していたと考えられる。「市良碧山伯等」は、「市良」(市郎)の名なのか、複数の名を書こうとしたのか判然としない。
「市良碧山伯等」は1609年、朱印船貿易家の角倉素庵の船に乗り、安南の乂安に渡航したが、帰途に丹崖海門の沖合で難破し、乗組員105名が遭難した。遠国の商人たちが飢えているのを不憫に思った安南国王は、舒郡公・文理侯・廣富侯に対し、遭難者105名を分担して給養するよう命じた。また、侯達は国王に上申し、食料や衣服、大船が支給されることになった。本書簡には以上の経緯が記されている。
「市良碧山伯等」が安南に向かった同じ年に、ベトナム中部の交趾(コーチシナ)への渡航を許可する朱印状が3通発給されている。本書簡は、ベトナムへの朱印船貿易が盛んであったこと、また日本と安南の関係が良好であったことを裏付ける史料として注目される。