糞掃衣とは、不要になったぼろ裂を洗い清め、重ね合わせて縫い綴った袈裟のことである。この糞掃衣は、不定形なさまざまな色の平絹を何枚か重ね合わせ、細かく刺し縫いして七条の袈裟に仕立てている。裂の表面は、ちょうど小波(さざなみ)がたったように波皺(なみしわ)状にみえ、一部には表面が擦れて下から別色の裂がわずかにのぞき、これらが相互に相まって微妙な色合いを呈し、一種独特な雰囲気を醸し出している。寺伝では「釈尊(しゃくそん)糞掃衣」といわれている。なお、法隆寺が元禄7年(1694)、江戸の回向院(えこういん)で出開帳(でがいちょう)を行なったときに、桂昌院(徳川5代将軍綱吉の生母)によって寄進された三葉葵御紋の黒漆塗金蒔絵箱が付属している。この黒漆塗金蒔絵箱も17世紀末の漆工品の基準作例としても貴重な存在といえる。
正倉院にも数色の不定形な平絹を重ね合わせ、刺し縫いした同様の袈裟が伝えられている。光明皇后が聖武天皇の遺愛品などを、東大寺の大仏へ献納したときの目録の一つである『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』の筆頭には、「九条刺納樹皮色袈裟」が記されており、現在でも原品が大切に遺されている。