雪舟が中国滞在中に描いた作品である。絹に描かれた非常に大きい四季山水で、構図はダイナミックでありながらも骨組みがしっかりしていて安定感がある。大きさ、材質、題材、画風がいずれもきわめて中国的であり、以上に加えて、各幅に「日本禅人等楊」の款と「等楊」の白文方印、「光沢王府珍玩之章」という鑑蔵印があり、款記にわざわざ「日本」と書いていることと、「光沢王」が明の王族に与えられる称号の一つであることから、雪舟が入明中に明の画風に倣って描いたとものと考えられる。岩の描き方は浙派風であり、雪舟は中国で流行していた浙派風の馬遠・夏珪スタイルに近づこうとしたのであろう。
雪舟が四季山水を重要なレパートリーとしていたことは、本図のほかにも倣夏珪の四季山水図(団扇形)があったことや、現存する黒田家旧蔵本(石橋財団石橋美術館別館)、彦龍周興が延徳元年(一四八九)に雪舟の四季山水図四幅対に題した「四景図 一景一幅 楊知客筆」(『半陶文集』)にうかがえる。ただ室町時代の絵画史において、そして雪舟自身の帰国後の画業においても、本図が画風的に孤立した作品であることは否めない。いいかえれば、それほど中国的傾向が強いといえるのである。
春景の左下隅の驢馬(ろば)に乗る人物と従者は、雪舟の前身とされる画家、拙宗等揚の山水図(京都国立博物館)のそれによく似ており、本図には拙宗と雪舟をつなぐ要素も認められる。