国宝天刑星てんけいせい

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  • (指定名称)紙本著色辟邪絵
  • (辟邪絵 のうち)
  • 1幅
  • 紙本着色
  • 縦25.8 横39.2
  • 平安時代・12世紀
  • 奈良国立博物館
  • 1106

 中国で信仰された、疫鬼(えっき)を懲らしめ退散させる善神(ぜんじん)を表わしたもので、天刑星(てんけいせい)、栴檀乾闥婆(せんだんけんだつば)、神虫(しんちゅう)、鍾馗(しょうき)、毘沙門天(びしゃもんてん)が描かれている。かつては「益田家本地獄草紙乙巻」と呼ばれた絵巻であったが、戦後に切断されて掛幅装になった。
 天刑星は文字通り天の刑罰を与える星で、陰陽道(おんみょうどう)の鬼神である。わが国では密教修法(加持祈禱の法)にも採り入れられた。ここでは牛頭天王(ごずてんのう)(京都・祇園社の祭神。古くは疫神)をつかんで食らう。
 栴檀乾闥婆はもとはインドの音楽神である。八部衆(はちぶしゅう)のひとりで、『法華経』の観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)に説かれる観音三十三身のひとつでもある。また童子を十五悪神の危害から護る神格としても信仰を集めた。密教の「童子経曼荼羅(どうじきょうまんだら)」では本図と近い姿に表わされる。
 神虫は蠶(さん)の美称で、善神として早くからその霊異が知られていた。本図は蛾(が)の姿をイメージしたものであろう。
 鍾馗は唐の玄宗(げんそう)を悪鬼から守ったとの説話を生んだ中国の辟邪神で、その像は、目が大きく、頬からあごにかけて濃いひげをはやし、黒い衣服と冠をつけ、長靴をはき、小鬼をつかんでいる。
 毘沙門天はここでは法華経持者を守護する善神として描かれている。本図のような弓を持つ毘沙門天像は中国の唐・宋代の作例が知られている。
 以上のような珍しい図像を集めたこの絵巻は、南都(奈良)と強い関係があり、さらに平安時代を通して宮中で修された仏名会(ぶつみょうえ)(宮廷歳末恒例の懺悔会)に用いられた「地獄変御屏風(じごくへんごびょうぶ)」とも関わりがあると考えられる。他の地獄草紙などと一連の六道絵巻として、平安時代末期、後白河法皇(ごしらかわほうおう)(1127-92)のころに制作され、蓮華王院(れんげおういん)の宝蔵に納められていたものと推測される。この辟邪絵と、『地獄草紙』(東京国立博物館所蔵)・『勘当の鬼図』(福岡市美術館所蔵)の詞書を同筆と見る説がある。
 なおそれぞれの詞書には、各辟邪神の働きが簡便に説明されている。

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