この袈裟をめぐっては、次のような不思議な物語が伝えられている。―京都・南禅寺の住持であった龍湫周澤(りゅうしゅうしゅうたく=1338没)は、ある夜、中国・南宋時代の高名な禅僧・無準師範(ぶじゅんしばん=1249没)の衣を得る夢をみた。すると翌日、まさしく無準の衣(袈裟)が贈られ、南禅寺の禅僧たちは瑞夢を賀してこの袈裟を「応夢衣」と名づけたという―
箱書によれば、本作がその応夢衣とされるが、実際に無準師範の袈裟か否かは確定できない。手描きの印金(描金)による旺盛な牡丹唐草文様は、高麗時代の経典の表紙に金泥で描かれる文様に酷似しており、この袈裟を高麗時代の作例とみる説もある。一部が失われ、現在は十二条となっているが、袈裟の条数は奇数が決まりであり、本来は十二条以上の袈裟であった。