大和国添上郡楢中郷五条五里一坪(現在の奈良県天理市楢町に鎮座する楢神社付近)の土地を売買した際の売券16通を貼り継いだ手継証文。平安時代以降、土地を売買する際には、土地の権利が移動するたびに作成された証拠文書を貼り継いで、土地の所有権を示す証文とし、これを手継証文と称した。本手継証文は、秦阿禰子が母の多安子から相続した土地を稲150束で若江善邦に売り渡した後、善邦から藤原某、仲為仁、丸部時忠、丸部大平(時忠の息子で、父から相続)、高橋経三、勧修寺別当上綱御房、東大寺の慶泉大法師、東大寺の法春大法師、法春弟子の河内読師の賢信、東大寺都維那某、東大寺知事の明圓大法師へと売買されていった際に作成された証拠文書を、左から右へと巻子状に貼り継いでいる。天暦8年(954)から長保4年(1002)までの半世紀にわたって同一の土地が転売されていった過程をたどることができる。売買のたびに、保証人としての刀禰が証拠文書に署名を行い、添上郡が判を加えてその売買を承認した。それぞれの証文に添上郡の判が加えられていることは、律令制において、土地売買を国家が管理していたことを具体的に証明している。手継証文としての当初の姿を保ち、そのごく早い時期の実物史料としてきわめて貴重である。さらに、添上郡をはじめとして、大和国には東大寺の荘園が多く、本手継証文からも添上郡の土地を東大寺の僧侶が購入している様子を具体的に知ることができる。名古屋の関戸家の旧蔵品で、九州国立博物館では同じく関戸家にて収集・相続された久安4年(1148)・宝治3年(1249)・文永8年(1271)の古文書3通とともに「東大寺等関係文書(P14989) 1巻(16通)3通」として収蔵している。