華やかな中世螺鈿鞍の中でも精細な螺鈿と優美な形態が際立つ作品。前輪(まえわ)・後輪(しずわ)に幅の広い海・磯を持ち、細長い鞍爪が伸びる重心の高い姿は、初期中世鞍の重厚な姿とは好対象を見せている。平安時代末期以降の鞍では多く前輪に手形を刳るが、本作は半月形に切り欠く点が珍しい。総体黒漆塗とし、加飾は両輪の表裏とも螺鈿によって装飾する。螺鈿は夜光貝を薄く摺った貝片を使用して幅1mmに満たない輪郭線に切り透かし、菊の花枝・蜻蛉・蝶などを描き出している。緻密に配された文様構成とともに、鞍の持つ曲面に沿う適切な用材に優れた手腕が認められ、中世螺鈿技法の高度な到達点を示すと言えるだろう。
両輪をつなぐ居木(いぎ)は、詰梨子地(つめなしじ)を施した趣の異なる様相を呈する。居木裏には「福嶋掃部助/所持之」「慶長拾三年/三月吉日/取替之」との墨書があり、本作は福島高晴(1573~1633)が所持し、慶長13年(1608)に居木を取り替えたことが知られる。明治~昭和の実業家、益田孝(鈍翁 1848~1938)旧蔵。