鴨川の堤防を西に配して、賀茂御祖神社(下鴨紳社)の境内を描いたもの。糺の森を左にのぞみつつ正面の参道を北にのぼり鳥居をくぐると、楼門・舞殿・神殿といった主要な殿舎が、神殿の西には斎院御所の一郭が描かれる。これらの建築にはその名を記した貼紙がされているものがあり、西御蔵や宝蔵などには「顛倒」や「当時半分」という注記もみえる。状態や規模をあらわすこうした記載は、絵図の制作後に付されたもので、同社の変遂を知るうえで重要である。
絵図の多くが軸装されているのに対し、この絵図は上下に棒をとおすための布製の乳がついて、折り畳んで携行できるようになっている。ここから、諸国をめぐった御師たちがこの絵図を掲げて賀茂信仰の絵解きをした、という参詣曼茶羅的な要素も兼ね備えていた可能性も指摘されている。もとは、累代同社の祠官であった鴨脚家に伝来。
なお、さきのような特殊な形状に加えて、長期にわたり開閉を繰り返したことで、折り目付近の本紙剥落が著しく進行していた。これをうけ、平成26年(2014)より2箇年をかけて本格修理を実施したうえ、今後の保管、および取り扱いを最優先し、従来の「かたち」を踏襲しながら、軸装に変更した。