粒状の鹿の子絞りを全体に連ね、絞り残した部分で文様をあらわす「地落ち」によって、亀甲つなぎと菱つなぎを描いた総鹿の子絞りの小袖。亀甲と菱の輪郭は、すべて金の摺箔によって縁取られ、弧状に大きく分割する線のみ、金糸の刺繡で表現されている。このような総鹿の子の作例は、江戸時代後期、町方の女性の晴着にしばしば見られるが、この一領は、それらよりも明らかに製作年代が遡る要素を含んでいる。
まず注目されるのが、小袖全体の意匠構成である。背面全体に大きく円弧を描くように文様を配する構成は、『御ひいなかた』(1666年刊行の小袖デザイン集)に描かれる、寛文期(1661~1672)頃の小袖の典型を示す。次に挙げられるのが、絞りの粒が極めて小さく整っている点である。小粒の絞りを生地全体にむらなく連ねるためには、熟練の糸くくりと卓越した染めの技術が必須である。そのような絞り染が可能なのは、糸ではなく糊によって防染する友禅染が主流となる1680年代以前と考えるのが妥当であろう。鹿の子絞りの粒の大きさを江戸時代の作例に概観すると、小粒から大粒へ、明らかに変化してくことが確認できる。最後に、文様の輪郭をすべて金の摺箔で縁取る技法の存在を挙げておきたい。「縁箔」と表現されるこの技法は、現存作例では江戸時代前期の作例に特徴的に見いだされる。この縁箔の役割は、寛文期には金糸の刺繡へと受け継がれていくことから、金糸刺繡と縁箔が共存する本小袖は、その過渡的な様相を示している。
以上の諸点から、本小袖は、確実な作例がほとんど残されていない17世紀半ばの作例と考えられよう。鮮やかな紅地に白上がりで文様をあらわし、随所に金を散りばめた本品は、当時の華やかな時世粧を教えてくれる。