16世紀半ば以降、ヨーロッパの宣教師や商人が続々と来日した。「南蛮人(なんばんじん)」と呼ばれた彼らは、キリスト教の祭礼具や西洋式の家具に蒔絵を施すよう注文し、本国へ持ち帰ったり他国へ輸出したりした。「南蛮漆器(なんばんしっき)」と呼ばれる輸出漆器である。
南蛮漆器の角徳利は他にも数本知られるが、6本揃いは本品のみ。保存状態がたいへん良いのは専用の櫃に収められて伝わったからだが、櫃の外面はヨーロッパで大幅に修復されている。櫃の内部は針葉樹の板で6つに仕切られており、仕切り板には打ち雲文様の和紙が貼られ、徳利を出し入れする際に蒔絵がこすれないよう工夫されている。徳利の各面には、黒漆地に金平蒔絵(きんひらまきえ)で南蛮唐草の縁取りがつくられ、そのなかに絵梨地(えなしじ)と螺鈿(らでん)も併用してさまざまな花鳥図がすきまなく描かれている。
貿易文書の研究者によれば、平戸のイギリス商館長の日記には、1618年に「複数の瓶を入れた箱1つ」を荷造りした記録が残り、オランダ東インド会社の記録では、1634年に瓶をいれる仕切り箱はオランダでは売れないので不要との指示がバタヴィア政庁から平戸商館へ出され、その一方で3年後の1637年にはインドのコロマンデル用に30~40個の発注が行われている。17世紀初めのインドで人気のある製品だったようだ。
徳利6本のうち1本は蓋がなく、1本は蓋があかない。蓋は銅製ねじ式。ねじを切る技術は、ポルトガル人がもたらした小銃の尾栓(びせん)から学びとられるまで日本では知られなかった。本品のねじは稚拙とはいえ、当時の最先端技術が盛り込まれているのである。