江戸幕府の役人として寛政10年から数回にわたり北海道、国後、択捉を踏査した秦檍麿(村上島之丞1760~1808)が、寛政12年 (1800) 年に著わした3巻から成る蝦夷風俗絵巻。寛政11年序をもつものもある。当初は1巻ないし3巻本程度の構成であったが、しだいに増補され、最終的には東京国立博物館本にみられるように全13帖となり、文化4年(1807)に現在の形となった。古説・礼・居家・機械・熊祭・漁猟・地図・膃肭漁・写生・雑図・諸外島・唐太・三邑の各部からなり、それぞれを「見ぬ人のために」図説する。伝写が多く後世の蝦夷風俗画に少なからぬ影響を与えた。本書からは民族誌のみならずアイヌ語およびアイヌ語地名についても秦檍麿の見識にふれることができる。蝦夷図作成で知られる間宮林蔵は村上の門弟の一人で、少年時代に村上のもとで働いた経験から、地理・測量に興味を持ったといわれる。