和歌山県金剛峯寺にある天野社(丹生都比売神社)では、一切経会の祭事に舞楽が奉納される慣わしであった。そのため、室町時代にまで遡る舞楽装束が遺されている。裲襠とは、走舞に用いられる袖なしの貫頭衣(かんとうい)で、縁に、染めた絹糸の毛を飾り、平組紐でかがり、鋲で押さえている。胴部に用いられるのは、平金糸のみで模様を表した繻子地金襴である。日本で金襴が生産されるのは江戸時代以降であり、金襴は中国からの輸入品であろう。雲状の葉を絡ませながら、ややぎこちない弧を描く二重蔓の牡丹唐草模様は古様を思わせる。この裏地には「永和四年三月十六日」の墨書銘があり、中国・元時代末期の金襴である。元時代の金襴の多くは三枚綾地であり、繻子地金襴の製作が中国で本格化するのは明時代以降である。本品は、過渡期にあたる金襴の希少な作例として注目されてきた。