小袖全体が大胆に楔形に染め分けられ、新春をあらわす若松模様、春を表わす小花模様、秋を表わす鹿に紅葉の模様、鹿の子絞りと、4種の模様で構成されている。浅葱色と黒に染められたいっそう細かい鹿の子絞りは「芥子鹿の子」と呼ばれた。刺繡は平繡を主として、撚金糸による駒留が随所に施され輝きを加味している。刺繡で彩られた「鹿に紅葉」の模様からは「おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき」を思い浮かべる。
織田家の家臣、山口盛政夫人が天文年間(1532~55)に着用したと伝わって来た。しかし地を楔形に染め分けるめりはりのある構図や落ち着いた色調、刺繡による細やかな模様と行った特徴は、江戸時代初期の武家女性の衣装に見られる様式的な意匠である。
中国から舶載された綸子地に、鹿の子絞りや刺繡で表地を埋めるように施したデザインは江戸時代初期に流行した。この時代の主な染織技法は刺繡、摺箔、鹿の子絞りで、これらの技法を単独で、あるいは併用して地を埋めるように模様を表したことから「地無」と称された。地色は紅の下染に黒を染め重ねた「黒紅」が好まれた。この小袖もまた、元和・寛永期頃に流行った地無小袖の1つである。