濤川惣助(1847~1910)は、明治時代に東京で活躍した七宝家。明治29年、京都で活躍した七宝家・並河靖之とともに、七宝部門で帝室技芸員に任命された。はじめ陶磁器などを扱う商人であったが、内国博覧会で観た七宝に魅了されて以降、七宝制作に取り組むようになり、明治10年代に無線七宝を開発した。七宝では通常、銅などの胎に植線と呼ばれる金属の細い線を施して模様を描き、その間にガラス質の釉薬をさしていくが、無線七宝ではこの植線を最後に取り除いて焼成する。これにより出来上がった作品は、暈しや陰影のある絵画的な仕上がりとなる。本作品は、濤川の代名詞でもある無線七宝作品を代表する大作で、明治26年(1893)のシカゴ・コロンブス世界博覧会出品作。
夏の富士山の姿を題材とし、右側上部に、雲間から山頂に雪が残る富士の姿が見え、中央近景には湧き上がる白い雲を配し大きく左上から右下の対角線方向へと広がっている。富士の背景となる地色には淡い紫と淡い鼠色を混ぜたもの、山には青色を主体とした濃淡、雲も白や灰色をぼかした色合いで、多数の釉薬のグラデーションを用いて表現されている。
博覧会において本作は工芸(Fine Art)部門ではなく絵画(Painting)部門の作品として展示され、絶大な評価を受けた。平成23年重要文化財に指定。