本図上方に明応4年(1495)3月中旬、数え76歳の年記を有する雪舟(1420-1506?)自身の序と当時の京都五山の有名な詩僧6人の題詩があり、それらの内容と絵の表現から、本図は雪舟の真筆であることが明らかな貴重な作品である。雪舟の自序によると、周防(山口県)の雪舟のもとで画を学んだ如水宗淵(じょすいそうえん)が相模(神奈川県)に帰るにあたり、師の画業を正しく受け継いだ証として雪舟に描くことを求めたのが本図である。雪舟の絵と序をもらった宗淵は帰途、京都でさらに6人の高僧に詩を書いてもらっている。
また雪舟は自序の中で、かつて中国へ渡り、李在(りざい)と長有声(ちょうゆうせい)に画を学んだこと、日本では如拙(じょせつ)、周文(しゅうぶん)の画を受け継ぐことなどを述べ、宗淵のために画学の系譜を明らかにするとともに、自負のほどを語っている。
この山水図は、潑墨(はつぼく)という輪郭線を用いず墨をはね散らすような、粗放な画法によって描かれている。墨の濃淡を面的に用いているにもかかわらず、確かな骨組みであり、雪舟固有の安定感と構築性を示す。自序に「破墨の法」とあることから、本図は古来「破墨山水図」の名で有名である。