高麗時代の統和二十四年(穆宗九年、一〇〇六)に千秋太后皇甫氏が寵臣金致陽と同心発願して書写せしめた紺紙金字一切経の唯一の遺巻。千秋太后皇甫氏(九六四~一〇二九)は第五代高麗王、景王(九五五~八一)の第三王妃であり、第七代高麗王、穆宗(九八〇~一〇〇九)の生母。金致陽は千秋太后の縁類にあたり、穆宗代には寵愛を受け、右僕射兼三司事となり権勢を振るった。『高麗史』列伝第四十「叛逆伝」によれば、金致陽は千秋太后と子を成し、共謀して王位を継がせようと穆宗十二年(一〇〇九)に挙兵するが誅され、太后は黄州へ逃れたとする。両者の名前が並ぶ願文に記されている統和二十四年は、この乱の三年前にあたる。
現存最古の高麗時代の装飾経であり、厚手の紺紙に、やや大ぶりに書写される力強く端正な字姿は、北宋前期の書法に通じるものがある。表紙には銀泥で宝相華唐草文、見返しには銀泥で三菩薩が散華供養している様子が描かれており、年代を明らかにする高麗最古の紙本絵画としても非常に重要な作品となっている。
なお見返しには左端には、朱筆で嘉慶二年(一三八八)、権律師豪憲が江州(滋賀県)の金剛輪寺に施入したことが記されており、本経が古くより請来されていたことを伝えている。