藤原忠通(1097~1164)の書状案29通を一巻に成巻したもの。忠通は政治的な手腕もさることながら、若年の頃より能書として知られ、優美ななかに雄壮さを備えた書風は、後世、忠通の法号をもって「法性寺流」とよばれ、一世を風靡した。
正月から12月まで月を追うかたちで25通を収め、月日未詳の4通がつづき、6通目にのみ大治6年(1131)の年紀がある。一紙に二通の書状が記されたり、継いだ紙に書状を書くことがなかった当時、継ぎ目に文字のかかる箇所が存在するなど、これらが案文であることをしめす。この「案文」を忠通による手控えととるか、さほど時を隔てない忠実な写しととるかで見解が分かれる。あるいは両者が混交している可能性も考えられるが、いずれにせよ、忠通の書風をかくも克明に伝える作品はない。