涅槃に入った釈迦が、人棺後に遅れて到沿した母の摩耶夫人の嘆きを静めるため、棺より起きあがり説法した場而を描いたもの。キリストの再生に似た珍しい主題だが中国に例があり、魔訶摩耶経等が典拠である。『魔訶摩耶経』は中国撰述の偽経とされるが、本主題は釈迦の親孝行を強調することから、対立する儒教の批判をかわす仏教側の意図があったとされる。なお、本図の実制作年代は11世紀後半と考えられるが、その原画は中国の10世紀頃に遡ると推測されている。つまり、11世紀末の白河院政開始以降に再び萌しはじめた中国への強い憧れによって、過去に日本に伝わった中国画にエキゾチシズムを見いだして模したものと思われるのである。群衆ひしめくにぎやかな構図や太細によって表情を生み出す思線などはオリジナルの中国画に由来するものと思われる反面、当時の日本の美意識を強く反映して華麗な色感を示す。
もと京都西郊(長岡京市)の長法寺に伝米したが、戦後、最後の大茶人とも称された松永安左ヱ門(号は耳庵)の手に渡った。氏の没後、昭和54年(1979)の財団法人松永記念館解散に伴い、国に寄贈された。