最上部に奈良の春日社及び若宮社の社殿を描き、下部一杯に興福寺の諸堂に安置される諸仏像を示したもの。春日社は藤原氏の氏神、興福寺は藤原氏寺であり、本図は典福寺を主体に描くが、春日宮曼荼羅の一種と見なすべきものである。
本図は、治承4年(1180)の年末に源平の争乱によって焼失した興幅寺の罹災以前の語仏像の姿を伝える唯一の作品とする説があり、興福寺に残る多数の現存仏像を考える上で重要な史料的価値を持つことから名高い。
仏身には裏から金箔を押し一部では表面にも金泥を塗るように金色の使い分けが見られ、細部まで神経の行き届いた彩色を施している。また、肉眼では判別困難なほど細密な描写を特色としている。これらの絵画様式から平安時代末期から鎌倉時代初期の制作になると考えられ、治承の兵火直前もしくは直後の作品と見られる。但し、描かれた諸像には兵火後の復典仏像の姿が混じているとする説もあり、まだ謎は残る。
京都日本画壇の巨星であった竹内栖鳳の旧蔵品。