宮中の御用品を焼くために置かれた窯を官窯という。文献は北宋時代の官窯の存在を伝えているが、その実体は謎に包まれている。南宋時代には、都の置かれた臨安(現在の浙江省杭州)の官窯で青磁が焼かれた。まず修内司(しゅうないじ)に、のちに郊壇下(こうだんか)に官窯が置かれたとされており、郊壇下官窯は昭和5年(1930)に杭州南郊の烏亀山山麓に、修内司官窯は平成8年(1996)鳳凰山北麓の老虎洞に発見されている。いずれの窯の青磁も、鉄分を多く含む黒い胎が用いられ、釉薬は深みのある幽邃な発色を示し、また貫入(かんにゅう)とよばれる釉薬のひび割れが縦横に走っている。
この瓶は玉器の琮をかたどっており、威厳に満ちた、重厚な気分をそなえている。尾張徳川家に「経筒水指」として伝来した。胎土や釉薬の特徴から、日本伝世の南宋官窯青磁の希少な作例と考えられている。