太く短い鼻、厚い唇など独得の顔立ちをした像で、その作風も全体に素朴な趣がある。平安時代の9世紀以降の製作とする見解もあるが、偏祖右肩につけた大衣の衣文構成や大らかな笑みを浮かべるふくよかな表情には、親王院如来立像など白鳳彫刻一般にみられる表現と通ずるものがあり、年代もそれほど下げる必要はないと思われる。
鋳造は一度失敗し、肩周辺に鋳からくりを施して、その上部を再鋳している。台座のみ内部を中空とし、本体部をムクとするが、大衣の一部を含む左前膞の半ばより先は別鋳である。鬆は再鋳部に大きめのものが集中する。台座正面中央の蓮肉縁から仰蓮にかけての個所に嵌金がみられる。火中したため全体に焼け肌を呈し、鍍金は頭髪部や唇下方等のごく一部に残るのみであり、彩色も台座内面全体に朱(あるいはベンガラか)が塗られている他は不明である。