推古31年(623)に止利仏師によって造られた法隆寺金釈迦尊像の中尊とよく似た形を示す。また、大衣の末端を正面では左前膞に懸けるのに対し、背面では左肩に懸けるように表わす矛盾した着衣の処理までも共通するが、金堂像と比べると表情がより穏やかとなり、渦巻き状の頭髪や懸裳の衣文などには著しい意匠化がみられる。
鋳造は両手首から先を含む上半部を鋳損じたため、同所を再鋳している。頭頂まで内部を中空とするが、銅厚には片寄りがみられ、特に再鋳された上半の背面部は著しく薄くなっており、後頭部の光背用枘の下方や背面の右肩下がり辺などは嵌金によって補正されている。肉髻内部に中型土が残存し、そこに鉄心を抜いた痕跡がみられる。再鋳しているが、鬆は全体に少ない。鍍金は頭髪部を除く各所に残るが、彩色は像内の脚部から懸裳裏にかけて朱(あるいはベンガラか)が塗られ、左右の黒目にかすかに顔料(墨か)の痕跡が認められるのみである。
なお、鋳損じた体部の上半を再鋳し、嵌金で補正しているにもかかわらず、外見上は破綻もなく仕上げている点は、法隆寺の菩薩立像やN-155号像についてもいえ、止利周辺作家の技量の確かさをよく物語っているように思われる。