古代の鏡は青銅で作られるのが普通で、鉄製のものは稀である。その稀な鉄鏡のなかでも本例は、銹化のため剥落が著しいものの、鉄地に金銀線やトルコ石などの宝石を象嵌した類稀な優品と言う事が出来よう。
この鏡は1933年(昭和8)、国鉄久大本線の工事中に偶然出土したと伝えられている。その出土地点は現在ではよくわからず、古墳からの出土とも、横穴墓からの出土とも言われている。
鈕は半球形で、金線が象嵌されている。鈕座は四葉座の変形した蝙蝠座で、金線と銀線で蝙蝠文を縁取りした中に渦雲文を金銀線で表し、中心にガラス玉を1個はめ込んでいる。蝙蝠文の間には金象嵌で「長」「宜」「□」「孫」の文字が刻まれている。不明の1字は「子」であろう。鈕の周りには多くの細身の龍が金象嵌で表され、目や体の節にはトルコ石や赤色の宝石がはめ込まれている。縁には渦雲文が金象嵌で表されている。このような華麗な装飾を施した精緻な出来栄えの鏡は稀であり、当時の工芸技術の高さを示している。
この鏡は2~3世紀の中国製と考えられ、日本にもたらされた時期はわからないが、伝世された後、6世紀頃副葬されたと考えられる。中国でも最高級と考えられる鏡を入手し、副葬することのできた被葬者はどのような人物であったのか興味深い。