これら4個の銅鐸は、大正元年(1912)、採石作業中に岩陰から偶然発見されたものである。
いずれも銅鐸の変遷過程では4段階のうちの第2段階目(外縁付鈕式)に位置づけられるものである。鐸身は繊細な流水文で飾られ、それぞれに動物や人物といった巧みな絵画が表現されている。1号銅鐸の身にはシカ列(中央部には人物らしきものも鋳出されている)、鈕(吊り手)には爬虫類らしきものが向かい合う。2号銅鐸は鈕にシカ、3号銅鐸は鈕にはシカ、身にはトンボと魚、スッポン?と人物、そして4号銅鐸にはシカ列と人物が表現されている。こうした銅鐸絵画は弥生人の生活環境や精神世界を私たちに教えてくれる。
これらの銅鐸の中には、同じ鋳型で作られたと考えられる、いわゆる「同笵銅鐸」が存在する。2号銅鐸は島根県加茂岩倉5号銅鐸と4号銅鐸は加茂岩倉21号銅鐸・伝大阪府陶器銅鐸・伝福井県井向銅鐸と同笵関係にある。また、3号銅鐸は大阪府東奈良遺跡で発見された鋳型から製作されたことが判明している。銅鐸の生産と流通の問題を考える上でもきわめて貴重な資料である。また、本例は岩陰から発見されたこともあり、その発見当初より銅鐸は外敵の進入時に埋め隠されたとする「銅鐸隠匿説」を支える重要な資料としても扱われてきているが、再埋納の可能性もある。