重要文化財袈裟襷文銅鐸けさだすきもんどうたく

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  • (指定名称)突線袈裟襷文銅鐸
  • 滋賀県野洲市小篠原字大岩山出土
  • 2個
  • 弥生時代・1~3世紀
  • 東京国立博物館
  • J-826, J-827

銅鐸は弥生文化を特徴付ける日本特有の青銅器である。20cm前後の小型の「かね」として誕生した銅鐸は、徐々に大型化するとともに、その過程で鳴り物としての性格を変え、祭器的・儀器的色彩を色濃くしていく。
この二つの銅鐸は、その変遷過程の最も新しい段階(突線鈕式)に位置づけられるものである。身を飾る主文様が僧侶が羽織る袈裟に似るところから「袈裟襷文銅鐸」あるいは、この種の銅鐸が特に近畿地方を中心に分布することから「近畿式銅鐸」とも呼ばれる。均整のとれた見事な形態は、当時の優れた鋳造技術の反映でもある。
銅鐸の大型化は、1号銅鐸のような巨大な銅鐸を生んだ。それぞれの文様は突線で力強く表現され、特に横帯の軸突線は鰭をも突き抜けている。現存する銅鐸のなかでは高さ・重量ともに最大のものである。
2号銅鐸の最大の特徴は、裾の部分に絵画を有する点である。二羽の鳥と考えられるその図像は、鈕や鰭を飾る鋸歯文と同様、繊細な凸線で表現されている。鳥はシカとともに銅鐸絵画の画題としては最後まで残るものであるが、本例はその最も新しい一群のひとつである。銅鐸絵画は弥生人の生活環境や精神世界を私たちに教えてくれる。
この両者は、明治14年(1881)、琵琶湖東岸の平野を見下ろす丘陵の突端で発見された14個の内のものであるが、昭和37年(1962)には、このすぐ隣から10個の銅鐸が発見されている。本例は、一箇所に大量に埋められた銅鐸がムラの統合を意味するという解釈を支える重要な基本資料となっている。

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