この縫箔は、桃山時代にお能の舞台に使用されて、毛利家に伝わった。おそらく、若い女性のシテ(主役)の衣裳と考えられる。地色を紅白の石畳模様に分け、それぞれの区間に桃山時代特有のふっくらとした絹刺繍(渡し繍)で模様を表わし、さらに金の摺箔を敷き詰めた華麗な衣裳である。刺繍と金箔で加飾した小袖であることから縫箔と称する。
赤地の部分には2つのテーマで模様がデザインされている。一方は地紋風の立涌と枝垂桜の模様、また『伊勢物語』をモティーフとした杜若に八橋の模様である。もう一方は、柳や薄の穂に雪が降り積もる様を表わした、風情のある景色が描かれている。この「雪持柳」と呼ばれる模様は、桃山時代、特にきものの模様に愛好された。名残雪の降り積もる柳枝の優美な風景を愛でた、当時の人々の思いが偲ばれる。白地部分には芦に波、貝殻などをあしらった海賦模様。風に揺れる短冊模様によって、王朝文化の伝統である和歌の情趣が添えられている。こうしてきものに表わされた模様を見ていくと、中世末から近世にかけて、日本工芸の意匠と文学との結びつきが、日本独特の叙情あふれる文様世界を広げていることに気付かされる。
所々に、模様構成とは関係なく、桐・菊・沢潟紋などが散らされている。菊・桐・沢潟の紋はいずれも豊臣秀吉縁の紋。毛利輝元と、能を愛好した秀吉との関係をもうかがわせる。