江戸時代前期から中期にかけて活躍した日本画家、尾形光琳(1658~1716)。彼が自ら筆をとって、江戸深川の材木商・冬木屋の夫人のために、小袖に秋草模様を描いたと、附属する文書によって伝えられている。
白無垢の綾地小袖は、光琳が描くためにあらかじめ用意されたのだろうか。藍と墨の濃淡による奥行のある秋草模様は、一叢の桔梗、あるいは一叢の菊花と、小袖を縦長の画面に見立てて直接描かれている。金泥や黄、赤の暈しが彩りを添える。単純化された桔梗の造形や、墨筆を生かした菊葉の表現は、当時、光琳が描いた秋草図屏風にも見られる、彼特有の装飾的なデザインに通じる。あえて植物そのものの色を用いずに、藍や黒といった寒色を好んで用いる特徴は、享保年間(1716~36)前後に小袖模様に流行する光琳模様を思わせる。光琳が直接デザインした小袖模様は他になく、一見余興で描いたかのように思われる。しかし着付けた時に帯が秋草の景を損ねないよう、帯の当たる部分には十分な空間を配している。京都の呉服屋・雁金屋の次男として生まれた、光琳の心くばりだろうか。この小袖と同様の秋草模様小袖が伝存しているが(静岡・MOA美術館)、なぜ、同じ模様の小袖が2領残っているのかは不明である。