重要文化財黄釉銹絵梅樹文大瓶おうゆうさびえばいじゅもんたいへい

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  • 初代宮川香山作 (みやがわこうざん)
  • 1口
  • 高52.1口径14.5胴径25.8
  • 明治25年(1892)
  • 東京国立博物館
  • G-139

宮川香山(1842〜1916)は真葛長造(九代茶碗屋長兵衛)の四男として京都に生まれた。万延元年(1860)家業を継ぎ、煎茶器を作り、幕末には備前虫明窯などで指導にあたった。明治4年(1871)輸出用陶磁器の製造を目的として、横浜で真葛焼を開窯。京焼風の色絵磁器・薩摩錦手・青磁・白磁・染付・黄釉・精密画・浮彫りなど多彩な技法による焼物を作った。9年のフィラデルフィア万博で受賞、11年、22年の2度のパリ万博ではともに金賞を受賞するなど、国内外で当時最も声価の高い人物であった。
1983年シカゴ・コロンブス世界博覧会においても、香山は『臨時博覧会事務局報告』では「殊ニ好評ヲ博ス」とされた作品中「真葛香山ノ作龍ニ青海波ノ花瓶、陶磁器百種類聚花瓶、磁器百種」で筆頭に掲げられ、塩田真の講話でも竹本隼太、井上良齋とともに三傑にあげられる。
この作品は、腰にゆったりとした膨らみをもたせ、頸へ向かってすぼまり、口がラッパ口となる、いわゆる玉壺春形という中国陶磁の形をとり、そこに梅を描く構成にも中国陶磁の粉彩の影響が見られる。高火度釉で黄色の地とし、そこに墨絵風に銹絵の梅樹を描き、梅花は白く抜いて、白梅とする。他の美術館陳列作を現在実際に見ることはできないが、その名称やその時代の記事等から推測する限り、全般に中国陶磁を強く意識して作られている。
明治29年、香山は濤川惣助、並河靖之、岸竹堂といった人々とともに帝室技芸員に任命されている。

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