野々村仁清(ののむらにんせい)は京都御室(おむろ)仁和寺の門前にあった御室焼の名工として、近世の日本陶磁史にその名が高い。御室焼の創始期はいまなお明確ではないが正保4年(1647)頃と推定され、仁清による色絵陶器は明暦2、3年(1656、7)には完成していたことが知られている。仁清は俗称清右ヱ門であったが、仁和寺宮から「仁清」の印を拝領して作品に捺したことから仁清と称した。
仁清印御室焼の作品の主体をなすものは各種の茶陶であり、なかで葉茶の容器として調整された茶壺は大作であるばかりでなく、上絵付も優れていることから代表作として声価が高い。色絵の茶壺で現存するものはこの月梅図のほか、藤図、吉野山図(2点)、芥子図、竜図、烏図、鯉登竜門図、遠山若松図、山寺図の10点であるが、この月梅図の壺は藤図壺とともに形姿、絵付けともにもっとも完成度の高いものである。
引き締まった口部は玉縁とし、肩の四方に耳を配し、口部から胴裾ちかくまで先透性の白濁色の釉をなめらかにかけ、その上に金、銀、赤、緑などで満月の下に咲き香る紅梅の図を上絵付けしていて、その表現には狩野派の趣が窺われる。
胴裾から平らな底にかけては露胎で、土膚にはほのかに赤い焦げが生じ、底の左側中央に「仁清」の小判形大印が捺されている。明治11年(1878)に当館に購入されたものであり、昭和24年に旧国宝から重要文化財になった。