鏡像とは、銅鏡の鏡面に仏像や神像を線刻したもので、まれに彩色をした例もある。鏡像が日本で作られるようになるのは、10世紀後半~末期ごろで、その発生については、神体として扱われることの多い鏡に、本地垂迹思想(ほんちすいじゃくしそう)にもとづき、その神の本地仏である仏像を表したとする説が一般にいわれているが、現存作例では初期の鏡像に、曼荼羅的な群像構成をとるものが多く、月輪(がちりん)の中に密教尊を観想する密教の作法を背景とし、その月輪と尊像を鏡と像になぞらえたのが始まりとする見方もある。また中国の五代~宋代(10世紀)にも鏡像の遺例があり、その影響関係も想定され、こうした要素が複合していると考えられる。
この鏡像は、白銅鋳造の長方形の鏡の鏡面に、蓮台を両手に捧げてひざまずく観音菩薩像を線刻したものである。鏡背は上部と下部に松をくわえた鶴、その間に松枝を配している。鏡胎は薄く、円形が多い和鏡の中にあって長方形であるのは珍しい。文様の鋳出は鮮明で、その意匠は和鏡が全盛であった、平安時代後期の典雅なおもむきを伝えているが、文様の表現にやや硬さがみられる点、平安時代末期から鎌倉時代初期の作と判断される。一方観音像の線は、浄土教の広がりをうけ、平安時代後期以降盛んに行われた、来迎の観音であるが、線には肥痩が目立ち、鏡そのものよりは相当に時代が降下するものと思われる。
なお鏡の上部2か所に円孔があけられており、紐を通して吊るしていたとみられる。