明治43年に、千葉市千葉寺旧境内と思われる竹林より発掘された燈籠である。屋根に柔らかな曲線をもった六角形の笠、薄い六角形台板と猫足といわれる可愛らしい3本の脚、その間の円筒形を火袋とし、6間に分けて梅と竹の文様を薄肉で巧妙に表し、地を透かし宙に吊るすのに相応(ふさわ)しい軽快さを作りだしている。また総高、笠径、台径がほとんど同じ長さに作られ全体に調和のとれた姿の燈籠とし、しかも扉1枚を除いて1鋳に作られており、その製作技術は優れている。
笠上には猪の目形の煙出し2個をあけ、宝珠形鐶台を中心とし放射状に「下総国千葉之庄/池田郷千葉寺/愛染堂之灯爐/大旦主牛尾兵部少輔/天文十九年庚戌七月廿八日」の銘文が刻まれている。地域的にみて当時鋳造業の栄えた茶の湯釜の産地として著名な下野国天明(現栃木県佐野市)で鋳造されたものであろう。火袋の文様構成は扉とその右方2面に竹と筍を、他の3面に梅樹と咲きほこる梅花を表すが、文様は大胆に要約され、すでに次代の華やかで自由な息吹が充分に感じられる。