馮子振(1257-1327頃)は中国・元時代の文人で、湖南省攸(ゆう)県の人。字(あざな)を海粟(かいぞく)といい、文章と詩に優れ、晩年は禅宗に帰依して中峰明本(ちゅうほうみょうほん)や古林清茂(くりんせいむ)ら多くの禅僧と交わった。教えを乞うた日本僧も多かったと思われる。
これは、日本僧の無隠元晦(むいんげんかい)のために、自作の七言絶句3首を揮毫して贈ったもの。無隠元晦は豊前の人、延慶1年(1308)に元に渡って中峰明本のもとで修行し、嘉暦1年(1326)に帰国後、京都の建仁寺の主となった。このほかにも、無隠元晦に書き与えた墨蹟が伝世し、当時、馮子振が無隠元晦をいかに重んじていたかがうかがえる。