了菴清欲(1288-1363)は、中国・元時代の禅僧。名僧として名高い古林清茂(くりんせいむ)の弟子で、保寧寺、開元寺、本覚寺、霊巌寺の住持を歴任し、順帝から金襴の法衣と慈雲普済禅師の号を賜った。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけては、多くの日本僧が了菴のもとを訪れた。
この法語は、了菴が本覚寺にいた元の至元7年(1341)正月17日、日本から来ていた僧、的蔵主(てきぞうす)が寺での修行を終えて帰国するとき、その求めに応じて書き与えたもの。的蔵主という僧については詳らかでない。温順な筆致で、宋時代の政治家で書家・画家・詩人でもあった趙孟頫(ちょうもうふ)の書の影響が見られる。
茶人として知られる松江藩主、松平不昧(まつだいらふまい)が入手し、永く出雲松平家に伝来した。