国宝尺牘(板渡しの墨蹟)せきとく(いたわたしのぼくせき)

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  • (指定名称)無準師範墨蹟
  • 無準師範筆 (ぶしゅんしばん)
  • 1幅
  • 紙本墨書
  • 32.1×100.6
  • 南宋時代・淳祐2年(1242)
  • 東京国立博物館
  • TB-1174

 中国・南宋時代の無準師範(1177-1249)は、諸山の住持を歴任したのち、径山万寿寺(きんざんばんじゅじ)の第34世住持となった禅僧。その弟子には、鎌倉の円覚寺の開山となった無学祖元(むがくそげん)、建長寺第2世の兀庵普寧(ごったんふねい)ら日本に渡った名僧や、嘉禎1年(1235)、南宋に渡って印可を受け、のち京都・東福寺の開山となった聖一国師(しょういちこくし)円爾弁円(えんにべんえん)らがいる。
 無準師範が住む万寿寺が、弁円が帰国した翌年の1242年(淳祐2)に炎上、博多の承天寺でその知らせを受けた弁円は、復興のための板千枚を寄進した。この書簡(尺牘)は、それに対する無準師範からの礼状で、その因縁から「板渡しの墨蹟」として有名である。弁円の承天寺の創建を喜び、受け取った板の数を知らせて感謝し、日本禅宗の興隆に力を注いでほしいと、謹直に書かれている。
 松江藩主で茶人として知られる松平不昧(まつだいらふまい)の旧蔵品。

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