国宝尺牘せきとく

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  • (指定名称)大慧宗杲墨蹟
  • 大慧宗杲筆 (だいえそうこう)
  • 1幅
  • 紙本墨書
  • 37.9×65.5
  • 南宋時代・12世紀
  • 東京国立博物館
  • TB-1173

 大慧宗杲(1089-1163)は中国・宋時代の禅僧。圜悟克勤(えんごこくごん)のもとで臨済禅を修めた。大慧派の始祖で、その法語は『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』3巻にまとめられている。
 宋王朝は金の侵攻に敗れて南に逃れたが、1127年、宰相秦檜(しんかい)が金と和議を結んだ。しかし大慧に従う修行者の中にはこれに異を唱える者があったため、秦檜の弾圧は大慧にも及び、大慧は僧籍を剥奪され、湖南の衡州さらに広東の梅州に流された。1156年、高宗の恩赦で僧籍に復し、径山万寿寺(きんざんばんじゅじ)などの住持となった。
 気迫に富む筆致で書かれたこの書簡(尺牘)は、梅州に流されていた大慧が、親しい無相居士(むそうこじ)に送ったもの。大慧墨蹟の中でもっとも珍重されている。茶人としても知られる江戸時代初期の禅僧、江月宗玩(こうげつそうがん)の旧蔵を経て、大名茶人松平不昧(まつだいらふまい)の所蔵に帰した。

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