本阿弥光悦の様式を継ぎながら独自の作風を確立した琳派の中心的芸術家、尾形光琳(1658-1716)の硯箱である。
全体の形は、角を丸くとった長方形で、蓋を身より大きく造った被蓋(かぶせぶた)造りである。二段重ねの上段を硯箱とし、中央に縁を金地に仕立てた硯と、長方形の銅製水滴を置く。下段は料紙箱としている。
意匠は、光琳が好んで採り上げた『伊勢物語』第9段の「八橋」の場面による。表面には黒漆を塗り、蓋表と身の側面に燕子花(かきつばた)と板橋を描く。燕子花には厚手のアワビ貝を打ち欠いて用い、葉と茎は金の蒔絵で表現する。板橋は腐食させた鉛板で質感を出し、橋杭は銀板である。蓋表と側面には流水を表さず、内部の上下の箱の底に金の蒔絵で波文を描く。
蓋表は斜め上から見た図であるのに対し、連続する身の橋は真上から見た構図であるが、不自然さはまったくない。黒と金銀の対比、主題の本質を取り出す構図とも、光琳の繊細な感性と緻密な計算によって表現された大胆な造形である。