「安幾破起乃」(あきはぎの)で始まるため「秋萩帖」と呼ばれる。全21紙の巻子本(かんすぼん)で、15紙までは草仮名(そうがな)で和歌が48首書写され、15紙途中から21紙までは中国・東晋(とうしん)時代の書聖王羲之(おうぎし)(303?~361?)の尺牘(せきとく)が11通臨書されている。2紙から21紙の紙背は中国の典籍『淮南鴻烈兵略間詁(えなんこうれつへいりゃくかんこ)』である。
1紙目と2紙目以降は料紙の大きさも違い、書写された筆者や時期も違っていると考えられるが、平安時代の草仮名の遺品として貴重である。王羲之尺牘のうち7通の内容は、本作でのみ伝えられてきた。
鎌倉時代に伏見天皇は、「白氏詩巻」(No.26)と同様に「秋萩帖」の紙背紙継ぎ部分に花押を捺している。そしてこの二巻は、霊元天皇の下で一緒に収める箱が作られた。その後、霊元天皇の皇子(有栖川宮家)に譲られ、有栖川宮家を継承した高松宮家から国有となった。
江戸時代には本作を模刻した板本、拓本が数種類出版された。近衞家凞(このえいえひろ)(1667~1736)や良寛(りょうかん)(1758~1831)が模写している。
(惠美)
『国宝 東京国立博物館のすべて:東京国立博物館創立一五〇年記念 特別展』毎日新聞社他, 2022, p.284, no.28.