国宝賢愚経断簡(大聖武)けんぐきょうだんかん おおじょうむ

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  • (指定名称)賢愚経残巻(大聖武)
  • 伝聖武天皇筆 (しょうむてんのう)
  • 1巻
  • 紙本墨書
  • 25.7×696.9
  • 奈良時代・8世紀
  • 東京国立博物館
  • B-2402

 『賢愚経』は、行ないの善悪から生じる果報をさまざまな寓話(ぐうわ)によって説いた経典で、69品(ほん)の章立てからなる。かつては16巻ないし17巻のセットで奈良の東大寺戒壇院(かいだんいん)にあったと考えられるが、手鑑(てかがみ)の冒頭を飾る名筆として珍重され、多くが数行ずつの断簡となって各所に伝わった。そのため巻子(かんす)の形で現存するのは、奈良・東大寺、東京・前田育徳会(まえだいくとくかい)、兵庫・白鶴(はくつる)美術館、および東京国立博物館所蔵の数巻分(いずれも国宝)のみとなっている。昭和23年に当館が瀬津伊之助から購入した1巻は、明治43年(1910)まで加賀前田家が所蔵していたもので、「波斯匿王女金剛品(はしのくおうにょこんごうぼん)第八」の冒頭から「宝天品(ほうてんぼん)第十一」の途中までの246行と、「摩訶令奴縁品(まかれいぬえんぼん)」の末尾16行分をあわせた残巻である。
 「大聖武」という通称は、その堂々たる大字の経文が聖武天皇筆と伝称されてきたことによる。1行あたりの字数が、写経で一般的な17字ではなく12字前後で書写されており、太い筆線は二度書きされているともいわれる。表面に粒子が浮き出た料紙は、遺灰を漉(す)き込んだという言い伝えから「荼毘紙(だびし)」というが、実際はマユミの繊維に樹皮や樹脂を漉(す)き込んだもので、奈良時代の写経所(しゃきょうじょ)文書に「真弓紙」あるいは「檀紙」と記された紙と考えられる。書写年代は奈良時代後期とみられ、近年、宝亀(ほうき)年間(770~781)の写経に、いわゆる荼毘紙を使用したものや、1行12字前後の大字経が含まれることが明らかになっている。

(樋笠)
『国宝 東京国立博物館のすべて:東京国立博物館創立一五〇年記念 特別展』毎日新聞社他, 2022, p.282, no.22.

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