歌合は、右と左に分かれて和歌を詠んで優劣を競う遊びで、平安時代に入ると、宮廷貴族の間で盛んに催されるようになった。「寛平御時后宮歌合」は、宇多(うだ)天皇(867~931)の母(皇太后)、班子(はんし)女王が主催したもので、春、夏、秋、冬、恋についてそれぞれ20番を競った、計200首からなる歌合である。紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(とものり)、藤原興風(ふじわらのおきかぜ)、素性法師(そせいほうし)など著名な歌人が名を連ねている。
この写本は、近衞(このえ)家に伝わった「十巻本(じっかんぼん)歌合」の巻四に属していた。「十巻本歌合」は、過去の歌合の記録を編纂したもので、関白藤原頼通(よりみち)(992~1074)が企図したものの途中で亡くなったためか、清書本は作られなかった。伝称筆者は宗尊親王(1242~74)だが、仮名の名品「高野切(こうやぎれ)」の筆者が書写した部分もあり、収められた歌合の最下限が天喜4年(1056)だったため、11世紀半ばから制作されたと考えられる。
本作の仮名は、校訂の書き込みがされていても、流麗で格調の高い書風である。本作の筆者は「十巻本歌合」のうち、総目録やそのほか多数の書写・校訂をしており、歌合編纂の中心的存在であったといえる。
(惠美)
『国宝 東京国立博物館のすべて:東京国立博物館創立一五〇年記念 特別展』毎日新聞社他, 2022, p.285, no.30.