近くで見ると激しい筆の勢いに圧倒されるが、距離をとると湿った空気に包まれた松林があらわれてくる。林のなかをひんやりとした風が流れ、木洩れ日が地面を照らしているかのようにみえるほどである。じっと見ていると松の木が、能を舞うようにゆらりと揺れてみえるかも知れない。
現在の石川県七尾(ななお)に生まれた等伯(1539~1610)は、初め仏画を描いていたが、のち京に上り、画壇の頂点に上り詰めて豊臣秀吉が天下を統一したころ、この松林を描いた。等伯は中国・南宋時代の画僧牧谿(もっけい)に私淑し、その水墨技法による自然描写、とりわけて大気の表現を学び、この松林図に結実させている。
この絵はあるときに屛風に仕立てられたものだが、乱れた紙継ぎなどから、もともとは下絵(草稿)であったともいわれている。一方で艶のある上質な墨がふんだんに使われている。また画面に捺された印は基準的な印影とは異なるものである。さらには画面の左右両端で途切れる松の枝が見えており、さらにこの風景が広がっていくことも想定できることなど、さまざま
な謎に包まれた作品といえる。
松林は「やまと絵」という日本の着色絵画において、しばしば描かれた伝統的な主題であるが、等伯はこの平面世界の松林のなかで、日本の湿った大気を感じさせる墨一色の松林を生み出した。日本の水墨画の最高峰ともいわれる所以(ゆえん)である。
(松嶋)
『国宝 東京国立博物館のすべて:東京国立博物館創立一五〇年記念 特別展』毎日新聞社他, 2022, p.280, no.16.